vol.1 旅立ちの日に


 勉強したいことが何もない、かといって働く意思もなければ将来やりたいことなど何もない・・・「食べる・寝る」といった生命維持のための必要最低限の行動以外に何かをする気力はなく、周りが大学受験でピリついているというのに呑気にカンボジアへと逃げ込んでいた私は当然のように進学先も就職先も決まらぬまま、いや決めようともしないまま高校を卒業した。あらゆる足枷を取っ払って自由になってしまえば自ずとやりたいことも見つかるはずだ、としばらく気の向くままに地元で生活してみようとしたけれど、「とにかく遠いところへと逃げてしまいたい」以外に湧き上がる感情はひとつもなかった。ここではないどこかに行けばこの得体の知れない恐怖から逃れられるはずだ、とにかく知らない場所へ、行ったことのない国へ・・・なけなしのバイト代を握り締めて目的もなくただひたすらに東南アジアを周ってみたものの、18年の歳月をかけて暗く深く侵食した孤独感を拭うことは容易ではなかった。しかしそのような乱暴な現実逃避の仕方で「何もない状態」から逃れられただけでも十分に気分が良かった。実際はただの対症療法に過ぎないのだけど・・・そして対症療法がもとの病を悪化させることがあるように、こうして逃避を繰り返す度にますます孤独感を募らせていくのであった。

 

 それなのに、きっともっともっと遠い場所には自分を何者かにしてくれる"スゴイもの"が転がっているはずだと盲目的に信じてやまなかった私は、心を無にして貯めた60万円を握り締めて再び65Lのバックパックに手をかけていた。リビングにはいつも通り明るく振る舞う祖母の姿があった。語学を習得したいだの、海外で働きたいだのといった前向きな理由ではなく、ただただ現実逃避をしたいという後ろ向きな理由で遠い国に旅立とうとするたった一人の孫を笑顔で見送る祖母の心境を思うといたたまれなかった。背負いかけたバックパックを床に置いて「ちょっとトイレ行ってくる」とぶっきらぼうに言い放つと、洗面所の鏡の前で声を漏らさぬよう泣いた。

 

 この日のために何種類ものワクチンを打ち、幻覚を視ることで有名なマラリアの治療薬を購入し、寝袋やテントなどといったアフリカの長旅に必要な装備を一通り揃えた(桑さん寝袋ありがとう)。おヘソまであった黒い髪の毛を肩下あたりまでバッサリと切って、「もう何も思い残すことはないなあ」と清々しい気持ちでいたはずだった。「一刻も早く遠い場所へ行きたい」とあれだけ願っていたにもかかわらず、いざ旅立ちの日を迎えると後ろばかりを振り返ってしまう。ここで誰か一人でも引き留めてくれたらどれだけ救われることかと心の中で嘆いたけれども、幸いにも(不幸なことに)誰一人として私の手を引く者はいなかった。

 

 泣き腫らした目を隠すように俯きながら玄関へ向かうと、またしてもいつもと変わらない祖母の姿があった。いつでも帰っておいでね、とかそんなことを言われたような気がするがよく覚えていない。15キロの荷物が詰まったバックパックを片手で軽々と背負ってみせて、玄関のドアを開けた。ここで振り返れば全てが崩れるような気がして母の待つ車へと一直線。最寄り駅までの数分間、なんとも形容し難いぎこちなさを解消するために奥田民生の『さすらい』を流した。「まわりは〜さすら〜わ〜ぬ〜人ば〜っか〜 少〜し〜気にな〜った〜」と奥田民生が言ったところで、母は「それが普通っしょ」と鼻で笑った。これからアフリカをさすらおうとしている人の横でさらりと小さな毒を吐くこの女性はやはり私の母だった。

 

 駅に着くと電車はすでに到着していた。下手したら一生の別れになるかもしれないというのに、何も言えぬまま大慌てで切符を買って電車に乗り込んだ。平日の真っ昼間の車内は人もまばらで、とりあえず端の席に腰掛けると、この期に及んでもなお素直になれなかった自分を悔やんで猛烈な喪失感に襲われたが、見慣れた田舎の風景がだんだんと遠ざかっていくにつれて不思議と心は穏やかになっていった。同じ車両内のサラリーマンたちを観察しているうちに、「あんたは進学とか就職とかしてたら今頃鬱になってたかもね」という母の言葉の意味をようやく理解した。

 

 さすらいもしないでこのまま死なねえぞ!