vol.2 レソト王国 〜南十字星 満天の星 そして天の川〜

 1時間遅れて出発したバスは、予定通り7時半にブルームフォンテーンに到着した。よほど疲れていたのか道中ずっと眠っており、移動中の記憶はほとんどない。

 

 ブルームフォンテーンで一泊するか否か、バスを降りてから小一時間悩んだ。身体は悲鳴を上げているが、もう少し移動したい気持ちもあった。ひとところに留まれない性分なもので、最近はもう一泊するのでさえ煩わしくなってきた。体力が許す限り毎日移動し続けたい。常に自分の知らない物、知らない人、知らない匂いに囲まれていたい。

 

 身体の悲鳴など無視して、本能の赴くまま、移動を続けることにした。近くにいたドライバーらしき男性にレソトに向かうバスはどれだと聞くと、ここではなく、ここから30分歩いたところのバスターミナルから出ていると言う。この会話に耳をそばだてていたドライバーたちが目の色を変えてこちらに迫ってきた。

 

 「Hey, sister! TAXI?」と叫びながら迫ってくる客引きの群れを掻き分けて、すれ違う人々に道を尋ねながら歩いて行く。後で調べて知ったことだが、南アフリカでは信号機のことを"ロボット"と呼ぶらしい。だから道を教える時には「あのロボットを右に曲がって、」というように説明する。その由を知るはずもない私は必死にロボットらしきものを探したが、当然そんなものは見当たらなかった。どうもおかしいと思い、次に尋ねた女性に「ロボットとは何ぞや」と聞くと、ご丁寧に信号機の真下まで連れてってくれた。ここでようやく、ああ、ロボットって信号機のことやったんか、と分かった。

 

 無事にバスに乗り、レソトに入国。南アフリカ東部を南北に走るドラケンスバーグ山脈の山中に位置するレソトは、国土のほとんどが標高1400mを超える。気温がグッと下がった。

 

***

 

 レソトの首都、マセルに到着したのは日曜の午後だった。国民の8割がキリスト教を信仰しているため、お店の大方はシャッターを下ろしている。隈なく探し回れば開いているお店もあったかもしれないが、如何せん体力も気力も底をついており、町を散策するのは諦め、地球の歩き方に載っていた宿に身を潜めることにした。リュックの中からどこかの露店で買った「リンゴ・バナナ・ビスケット」を取り出して、音のない冷え切った部屋で食べる。

 

 中途半端な都会が一番嫌いだ。すべてが肌に合わない。マセルに着いた瞬間そう思った。明日もここに居続ける理由はないと判断し、重い腰を上げてレソト東部にあるモコロトン行きのバスチケットを買いに行くことにした。ぐるぐると同じ道を行ったり来たりしながらチケット売り場を探していると、それを見かねた同い年くらいの女の子3人組が一緒に探してくれることになった。おしゃべりしながらマセル市内を散歩し、翌朝8時のチケットを買った。

 

 5時に起床。このところの身だしなみに対する無頓着さには自分でも驚いている。化粧ポーチから取り出すのはリップとアイブロウぐらいだし、ヘアアイロンは一度も使われることなくバックパックの奥底に眠ったまま。「今日カラコンしとらんからこっち見んとって!」「今?無理!化粧しんと外出れんもん」といちいち騒いでいたJK時代をふと思い出した。今の自分とあの頃の自分は本当に同一人物なんだろうか・・・

 

 バナナを2本食べてから荷物をまとめ、5時半頃、宿のスタッフにタクシーを呼んでもらってバスターミナルまで。早く行かないと席が埋まってしまう可能性があるとはいえ、さすがに早く来過ぎたかもしれない。バスの中で夜明けを待った。

 

 

 移動中、皮膚に異変を感じた。座席に触れている部分が猛烈に痒い。おそらく車内に無数のダニがいたと思われる。しかし、この移動中はそんなことよりもミネラルウォーターの残量ばかりに気を取られていた。強烈な日差しが体中の水分を奪っていき、無性に喉が渇く。「寒いからいっか」と十分な水を持たずにバスに乗り込んだのが間違いだった。残り100mlほどとなった2Lのペットボトルを見つめる。ふと窓の外を見れば乾いた土と崖。ここでバスが立ち往生したら私はどうなってしまうんだろうって考えた。砂漠で死んでいった旅人たちの姿を想像する。身体は痒いし、喉は乾くし、とにかく何も考えたくなくて、音楽を聴きながら外を眺めていた。

 

 16時過ぎにモコトロンに到着。日が暮れかけていた。本日の目的地はここから車で30分ほどのところにあるモルモン村である。水と果物を買い、ミニバスに乗り込んで未舗装の道を進んで行く。

 

 村全体が夕焼け色に染まり切った頃に到着した。辺り一面オレンジ色。なぜか日本の原風景と重なり、妙に懐かしい気持ちになった。

 

 あらかじめ目星をつけていた宿に向かうも、「今はシーズンじゃないから閉めてる」と言われて途方に暮れる。他に宿があるか尋ねると、ここだけだと言う。仕方ないな、と少々呆れながらも特別に部屋を開けてくれた。次からは予約しなさいねと叱られる。

 

 この村には電気が通っていない。部屋に入ると、ロウソクとマッチをそれぞれ一本ずつ渡された。今晩はこの灯りだけで過ごすように言われる。ガスはあったのでキッチンは好きに使うことができた。手持ちのパスタを茹でて、何も付けずにそのまま食べた。あとはまたリンゴとバナナ。

 

 

 ここは標高3200メートル。めっっっちゃ寒い。持っていた衣服をすべて着込み、毛布にくるまりながら眠くなるのをひたすら待ったが、あまりの寒さに目は冴える一方。時刻を確認すると午前3時を回っていた。手足が氷のように冷たい。

 

 寝るのを諦めて外に出た。

 

 360度、どこを見上げても満点の星。口をあんぐり開けてその場に立ち尽くしていた。自分しかいないのだから大声を出して驚いたっていいのに、どういうわけか消え入るような声で「えっ、嘘・・・えっ、えっ、」と何度もつぶやいた。氷点下の凍て付く寒さなど忘れ、しばらく星空を見上げていた。自然の壮大さに足がすくむ。まるで宇宙の中に放り出されたような感覚に陥り、パニック寸前だった。そのうちに、生きたいとも死にたいとも思えない不思議な感情に包まれた。

 

 夢かうつつか。それすらも分からなくなってくる。心と体が分離していく感覚。圧倒的な自然を目の前にした時、人間はこんなにも弱いのだと知った。今ここに立っている自分の存在を確かめるために、めったに聴かないけれどなんとなく携帯の中に入っていたラブソングを大音量で流した。底抜けの明るいメロディーに助けられた。

 

p.s.

 タイトルの「南十字星、満天の星、そして天の川」は、さだまさしの『風に立つライオン』という曲の歌詞にある。モルモン村の夜空を思い出す。

 


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