- 近頃涙を流さなくなった。正確には泣きたい気持ちに駆られても、以前のように感情に任せて豪快に泣くことができなくなった。今朝は夢見が悪く、良く晴れた日曜日の朝だというのに目覚めの気分は最悪だった。カーテンの隙間から漏れ出る光が妙に眩しく感じられ、何の前触れもなしに土砂降りの雨が降ってくれたらどんなに救われるだろうと思った
- ...と、メモ帳に書いたのが4月の初め頃。豪快に泣くこと………確かに少なくなったかもしれん 名古屋に居た頃はしょっちゅう「もー人生がわかんないよ〜」と過呼吸になりながら周りの大人に泣きついていたのに 今は周りを見れば年下ばかりで、もうそういう時期はとうの昔に過ぎ去ったのね と少し寂しい気持ちで遠くを見ていたのでした 挫折を味わって悔しくて悔しくて泣くことこそが真の青春だと思っているので 「ああ もう青春は終わってしまったんだな」と勝手に落ち込んでいた4月でした、が、5月の初め頃、久しぶりに、「悔しくて悔しくて感情に任せて豪快に泣けた」ので何だかとても安心した 私もまだまだ青春できるのねと
- 今も昔もひとしきり泣いた後のあの感じが大好きだ 普段は無気力な私が「…っしゃ〜〜〜やったろ!!!」と無駄に前向きになれるのは 取り乱すほど泣きじゃくった後の数時間ぐらいだから この反動のおかげで大抵何事もうまくいってる(受験は失敗したけども)
- ブログタイトルである【J'en ai vu bien d'autres.】とは、直訳で「私はもっと多くのものを見てきた」という意味であり、それを意訳すると「もっといろんな目に遭ってきたのだから、そんなことでは動じない」といった意味合いになりますその理由はここに書くまでもありませんね。2015年の年末、高山のとある旅館、テレビの音だけが虚しく響くキンキンに冷えきった部屋で、ノートの片隅にこの言葉を書いたのを今でも鮮明に覚えている この言葉は常に心にある
- 何度も人生辞めたくなったけど "人生は死ぬまでの暇つぶしで 美味しいものを食べるために生きてる"と思えば途端に楽しくなってくる
- だけどたまには、豪快に泣いてどん底まで堕ちて「っしゃやったろ!!!」と前を向く、といった青春が恋しくなる 私は恐らくこの激しい感情の波の中でしか生きられないとどこかで分かっているし、一生そういう不安定な生き方が出来たらいいなと願ってさえいる だから「あれ、なんで生きてるんやろ…ああそっか、美味しいものを食べるために生きてるんやったな」と思い込むことでどん底から解放されることもある一方、いざ本当に「美味しいものを食べるため"だけ"に生きてる」状態に落ち着いてしまったら(何もかもを手に入れてしまったら) 今度こそ本当に人生辞めてる これはもう変態だ!
- そうだ 昨日のモーウィの件、今朝電話したら返金してもらえることになった。数分後に折り返し電話が来て「もしかして白いモーウィをご購入されましたか?」と聞かれたから、はいそうです〜と答えたら、爆笑しながら「ダイコンに似てるから間違えたんでしょうね〜!」と。「申し訳ございませんでした」と陳謝されるよりもずっと良かった。