vol.3『イェーイ 君を好きでよかった』

 

〜 これまでのお話 〜

vol.0『初・アフリカの記録』

vol.1『さすらいもしないで このまま死なねえぞ』

vol.2 『夕暮れが僕のドアをノックする頃に』

 


 

足を止めたら沈んでしまうから

 

 1時間遅れて出発したバスは予定通り7時半にブルームフォンテーンに到着した。よほど疲れていたのか道中ずっと眠っており、移動中の記憶はほとんどない。

 

 ブルームフォンテーンで一泊するか否か、バスを降りてから小一時間悩んだ。身体は悲鳴を上げていたがもう少し移動したい気持ちもあった。ひとところに留まれない性分なもので、最近はもう、どこかに一晩泊まることさえ煩わしくなってきた。体力が許す限り毎日移動し続けたい。常に自分の知らない物、知らない人、知らない匂いに囲まれていたい。

 

 身体の悲鳴など無視して、本能の赴くままに移動を続けることにした。近くにいた男性にレソトに向かうバスがどこから出ているのかを尋ねると、ここから3キロほど離れたバスターミナルから出ている、と言う。するとこの会話に耳をそばだてていたドライバーたちが目の色を変えてこちらに迫ってきた。

 

 「Hey, sister! TAXI?」と叫びながら迫ってくる客引きの群れを掻き分けて、すれ違う人々に道を尋ねながら歩いて行く。後から知ったことだが、南アフリカでは信号機のことを"ロボット"と呼ぶらしい。だから、道を教える時には「2つ目のロボットを右に曲がって、」というように説明する。その由を知るはずもない私は必死にロボットらしきものを探していた・・・

 

 無事にバスに乗り込み、レソトに入国。南アフリカ東部を南北に走るドラケンスバーグ山脈の山中に位置するレソトは、国土のほとんどが標高1400mを超える。気温がグッと下がった。

 


 

全身200箇所(主にお尻)に赤いブツブツ

 

 レソトの首都、マセルに到着したのは日曜の午後だった。国民の8割がキリスト教を信仰しているため、お店の大方はシャッターを下ろしている。隈なく探し回れば開いているお店もあったかもしれないが、如何せん体力も気力も底をついており、町を散策するのは諦め、地球の歩き方に載っていた宿に身を潜めることにした。リュックの中からどこかの露店で買った「リンゴ・バナナ・ビスケット」を取り出して、音の無い冷え切った部屋で食べる。

 

 中途半端な都会が一番嫌いだ。すべてが肌に合わない。マセルに着いた瞬間そう思った。明日もここに居続ける理由はないと判断し、重い腰を上げてレソト東部にあるモコロトン行きのバスチケットを買いに行くことにした。ぐるぐると同じ道を行ったり来たりしながらチケット売り場を探していると、それを見かねた同い年くらいの女の子3人組が一緒に探してくれることになった。おしゃべりをしながらマセル市内を散歩し、翌朝8時のチケットを買った。

 

 5時に起床。このところの身だしなみに対する無頓着さには自分でも驚くばかりだ。化粧ポーチから取り出すのはリップとアイブロウぐらいだし、ヘアアイロンは一度も使われることなくバックパックの奥底に眠ったまま。「今日カラコンしとらんからこっち見んとって!」「今?無理!化粧しんと外出れんもん」と、誰も気にしていないのにいちいち騒いでいたJK時代をふと思い出す。

 

 バナナを2本食べてから荷物をまとめ、5時半頃、宿のスタッフにタクシーを呼んでもらってバスターミナルまで。早く行かないと席が埋まってしまう可能性があるとはいえ、さすがに早く来過ぎたかもしれない。バスの中で夜明けを待った。

 

 

 バスは8時半頃に出発した。前後左右からの質問攻めが一旦落ち着くと、いつも通りイヤホンを耳に挿して窓の外を眺める。一度だけトイレ休憩があったがトイレ休憩というよりは草むら休憩だ。女性たちはカラフルな巻きスカートでうまいこと隠しながら用を足していた。

 

 移動中、皮膚に異変が生じる。座席に触れている部分が猛烈に痒い。おそらく車内に無数のダニ、もしくは南京虫が潜んでいたのだと思われる。この時はしかし、そんなことよりもミネラルウォーターの残量ばかりに気を取られていた。強烈な日差しが体中の水分を奪っていき、無性に喉が渇く。「寒いからいっか」と十分な水を持たずにバスに乗り込んだのが間違いだった。残り100mlほどとなった2Lのペットボトルを見つめる。ふと窓の外に目を遣れば乾いた土と崖。もしここでバスが立ち往生でもしたら・・・砂漠で死んでいった人たちの姿を想像する。体は痒いし、喉は乾くし、とにかく何も考えたくなくて、再び音楽を聴きながら外を眺めていた。

 


 

南十字星、満天の星、そして天の川

 

 16時過ぎにモコトロンに到着。既に日が暮れかけていた。本日の目的地はここから車で30分ほどのところにあるモルモン村。水と果物を買い足して、モルモン行きのミニバスに乗り換えて未舗装の道を進んで行く。

 

 村全体が夕焼け色に染まり切った頃にバスはモルモン村に到着した。辺り一面オレンジ色だった。ポツポツと建っている石造りの小屋以外に目立った建物はなく、限りなく向こうの方まで山が連なるのが見える。なぜか日本の原風景と重なり、妙に懐かしい気持ちになった。

 

 あらかじめ目星をつけていた宿に向かうも、「今はシーズンじゃないから閉めてるよ」と言われて途方に暮れる。他に宿があるか尋ねると、人が眠ることのできる場所はここだけだと言う。この時点でほとんど日は沈みきっていた。野宿を覚悟したが、「仕方ないわね」と少々呆れながらも特別に部屋を開けてくれた。次からは事前に電話しなさいねと叱られる。

 

 この村には未だ電気が通っていない。部屋に入ると、ロウソクとマッチをそれぞれ一本ずつ渡された。今晩はこの灯りだけで過ごすように言われる。ガスはあったのでキッチンは好きに使うことができた。手持ちのパスタを茹でて、何も付けずにそのまま食べた。あとはまたリンゴとバナナ。宿主は私を残して家に帰った。

 

 

 南半球の6月は想像以上に寒い。おまけにここは標高3200メートルだ。持っていた衣服をすべて着込み、毛布にくるまりながら眠くなるのをひたすら待ったが、あまりの寒さに目は冴えていくばかり。ケープタウンで購入したもこもこの靴下にもダニが潜んでいたらしく、足先が熱を帯びるほど痒い。時刻を確認すると午前3時を回っていた。手足が氷のように冷たい。

 

 寝るのを諦めて外に出た。

 

 ・・・どこを見ても星、星、星、星・・・口をあんぐり開けてその場に立ち尽くす。綺麗なんてもんじゃない、どうしようもなく怖い。自分しかいないのだから大声を出して叫んだっていいのに、どういうわけか消え入るような声で「えっ、嘘・・・えっ、えっ、怖い、やだ、無理」と何度もつぶやいていた。氷点下の凍て付く寒さなど忘れ、しばらく星空を見上げていた。自然の壮大さに足がすくむ。宇宙に放り出されたような気分だった。次第に平衡感覚を失い、足元がふらつき、怖くて怖くて誰かに抱きつきたい衝動に駆られたが私以外に人間の姿はない。せめて誰かとこの恐怖を共有したかったが、電話もネットも繋がらず、文字通りこの場所には「私だけ」で、大自然のど真ん中で一人取り残されて、、、考えれば考えるほど頭がおかしくなってきて、パニック寸前だった。そのうちに、生きたいとも死にたいとも思えない不思議な感覚に包まれた。

 

 夢かうつつか。それすらも分からなくなってくる。心と体が分離していく感覚。圧倒的な自然を前にした時、人間はこんなにも弱い存在なのだと知った。どこかに飛んでいきそうな心を引き留めるため、そして人の温もりに触れたくて、めったに聴くことはないがなんとなく携帯に入れたままにしていたラブソングを再生した。底抜けの明るいメロディーに救われた。

 


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