vol.2 『夕暮れが僕のドアをノックする頃に』

 

〜 これまでのお話 〜

vol.0『初・アフリカの記録』

vol.1『さすらいもしないで このまま死なねえぞ』

 


 

名古屋→大阪→香港→ドバイ→ケープタウン

 

 地元の駅を出発してから約一時間ほど電車に揺られて名古屋に着くと、大阪行きのバスに乗り換えるために小走りで太閤通口方面へと向かった。

 

 途中でコンビニに寄って、生茶とレモン味のピュレグミを買った。コンビニを出てから全力でダッシュして(ご想像ください、背中に15キロのバックパック、正面にデイパック、左腕にコンビニの袋を提げながら名古屋の街中をダッシュする女の姿を…)出発時刻ギリギリにバス停に着く。二泊三日用のコンパクトなスーツケースがいくつか並ぶトランクに大きなバックパックをどかんと置いた瞬間、なんだか世捨て人の烙印を押されたような気がした。

 

 三時間ほどバスに揺られて梅田のバスターミナルに着くと、今度は空港行きのバスに乗り換えるために数十分歩いた。岐阜や名古屋とはまた違った、大阪特有のジメジメと湿った生ぬるい空気が肌にまとわりついて足取りが重くなる。

 

 関空に近づくにつれて空も段々と暗くなってきた。りんくうタウンと関空とを結ぶ連絡橋を渡る途中、ふと窓の外に目を遣ると、夕日の名残が西方の水平線へと解けていく様子が目に飛び込んできた。ちょうど人肌くらいの温かさを帯びた橙色が大阪湾の水面に反射している。間もなくの到着を知らせる哀愁漂うメロディがバス車内に流れ出す。心臓がギュッと締め付けられて無性に寂しくなった。ブルーハーツの『夕暮れ』を聴いた。

 


www.youtube.com

 

 関空に着くと、ひとまずいつも通りそじ坊の『葉わさび蕎麦定食』を食べた。KIXエアポートラウンジ(空港内にあるネットカフェ、今はない)で、明日死ぬんかってくらいの勢いでドリンクバーのコーラをがぶ飲みして、パソコンで最新のアフリカ情勢を調べて、シャワーを浴びて、ぼーっとTwitterを眺めて、リクライニングソファの上で体を縮こめて夜を明かした。

 

 香港行きの早朝便に乗り込む。大事な人たちにLINEを送った。友達が私のためにお守りを買ってくれていたことを知る。「出発日くらい教えてよ」と怒られる。窓の外をぼんやりと眺めていたらあっという間に離陸した。ガタガタと揺れる飛行機の中で、「いつ死んでもいいやって気持ちでいたはずだけど、さすがに飛行機事故では死にたくないな……」と思った、と同時に、頭の中で何度も何度も最悪の事態を想像してしまって尋常じゃないほどの手汗をかいた。

 

 香港国際空港では約七時間のトランジット。空港内に充満する独特な匂いを嗅いでようやく、ああ〜本当に日本を出てきたんだな…と実感する。朝から何も食べていないためお腹が空いたが、外国産の食べ物を食べると吐いてしまうという、非常に厄介な強迫観念を小学二年生の頃から持ち合わせているため、いくつかレストランを見て回っても食欲は湧かなかった。それでもお腹は鳴り続けるので仕方なくフードコートで小籠包を頼む。何度も ウッ となったけど、周りにたくさん人がいたからなんとか吐かずに食べられた。しばらく胃の中が気持ち悪かったし精神的には最悪だったけどお腹はちゃんと満たされた。

 

 それからエミレーツに乗ってドバイへ。三度目のドバイ国際空港、初めて降り立った時と何ら変わらない印象を抱く。「でっけえ〜!」。さすが世界のハブ空港!オイルマネー!時間が有り余っていたので意味もなくターミナル間を移動して時間を潰した。どこを歩いても人で溢れかえっていたけれど、深夜だったからか空港の雰囲気自体はとても落ち着いていた。インドやフィリピンからの出稼ぎ労働者が怠そうに仕事をしている。暇を持て余し、前回のトランジットで余った30ディルハム(≒1000円)でスタバのフラペチーノを買ってネットサーフィンをする。海外の大きな空港でだらだらとTwitterを眺めながら人間観察をする時間がたまらなく好きだ。いろんな人生を想像して、「みんなみんな生きてるなァ〜〜〜」って思う。

 

 再びエミレーツに乗ってケープタウンへ。ここから一気に周りの人種比率が変わった。ほとんど黒人、たまに白人。アジア人は私だけだった。機内食は残さず食べた。パン用のジャムとバターをリュックに忍ばせた。映画を2本観て、眠りについた。

 


 

ケープタウン

 

 お昼頃にケープタウンに到着した。半年ぶりのケープタウン、ここは南半球だから日本と違って今は冬。空港のカウンターでミニバスを予約してロングストリートまで。12月には観光客で賑わっていたロングストリートも、ひと気がなく閑散としている。ミニバスの値段、忘れてしまったけど結構高かった気がする。MyCityというバスが空港から出ていることは知っていたけど、長旅で疲れ果てた頭と身体が全力で快適さを求めた。

 

 ロングストリートの端に位置する、日本人御用達宿「Cat&Moose」に今回も泊まることにした。鉄格子の外からブザーを押すと、宿主ジョンがニコニコしながらゆっくりとこちらへ歩いてくる。「久しぶりだね〜(髪の毛をくるくるしながら)ブレイズヘアだった、Akariでしょ?」

 

 肌寒くてあまり外に出る気になれず、近くのカフェやバーに行って一日中ダラダラする生活を一週間ほど続けた。コーヒーを注文した後でWi-Fiが壊れていることを知った時の絶望・・・日記を書いたり今後の予定を立てたりして暇を潰した。このままだと旅の序盤から沈没生活を送ることになるなぁ、という危機感はあったが、身体が思うように動かない。なんだかずっと、鬱々とした、黒く重たいものが全身にのしかかっていて、頭の中に靄がかかっていて、体を起こすだけで精一杯。たまにふと思い立って電車でサイモンズタウンまで行ったり(再びペンギンを見に行く)、「一人で行くのは心細いから一緒に登ってくれないか」と韓国の男の子に誘われて、人生三度目のテーブルマウンテンに挑んだりした。

 


 

三度目の正直

 

 ようやく重い腰を上げて南アとレソトの国境付近にある「ブルームフォンテーン」という街に移動することにした。エジプトから陸路で南下してきた日本人の方とお話ししているうちに、ようやく頭の中の靄が晴れてきた。いろんなお話を聞いて、アフリカ旅への情熱が戻ってきた。

 

 使ったバス会社は"快適"と噂のインターケープ。初めての移動ということもあり少々緊張気味でバスターミナルへ向かうも、人が多過ぎてチェックインカウンターがどこにあるのかもわからなかった。近くにいたスタッフに聞いてみると、「ブルームフォンテーン?10番ね」と言われたので10番のカウンター(長蛇の列)に並ぶ。15分くらい並んでようやく私の番になった。チケットを見せると「あなたは12番よ」・・・ok。12番のカウンター(長蛇の列)に並び直す。15分して私の番。「オーケー、じゃあ荷物をあのコンテナに預けて」よし!やっとクソ重いバックパックから解放される!ルンルン気分で言われた場所に向かう。荷物係の男性にバックパックを手渡す。すると「君、どこへ行くの?」と怪訝な顔で聞かれる。『ブルームフォンテーン・・・え、このバス、そうですよね?』と聞き返す。「・・・どこでチェックインした?」『12番です』・・・その瞬間、おじさんが12番のカウンターにいるスタッフに向かってものすごい勢いで怒り出した。すると先程のスタッフが慌ててこちらに走ってきて、「ごめんなさい、11番でもう一回チェックインして」・・・というわけで、正解は11番でした。

 

 無事にブルームフォンテーン行きのバスに乗り込んだ。座席は4列目の窓側。「インターケープは出発時刻を守ることで有名だよ」と、エジプトから南下してきた方に教えてもらったが、時間になってもドライバーの姿は見当たらず、動く気配は微塵も感じられない。予定時刻を30分過ぎた頃にスタッフが慌てて乗り込んできて、息切れしながらアナウンスを入れた。

 

 「すみません、使うバスを間違えました!!!皆さん一旦降りてください」

 

 言われるがままに降り、別のバスに乗り換えた。さっきのバスに比べると設備が粗末になっている。さっきのバスはワンランク上のバスだったんだろうか(悲しい)。

 

 そんなこんなでケープタウンを予定時刻より1時間弱遅れて出発した。初めてのアフリカ陸路移動!南アフリカで既にこんなふうだと、先が思いやられるな〜。