「朱里ちゃんは、千枝さんによく似てるわね」と祖母によく言われた。千枝さんとは、私の曾祖母のことだ。祖父の母。彼女は歌人だった。そして、あの時代においては珍しく一人っ子だった。旅が好きで、ちょっと変わっていて、孤独についての詩を書いていた。孤独を愛していたのかは分からないが、常に孤独と隣り合わせだったことは彼女の詩を読む限りでは確かだ。子どもの寝顔を見ながら夫と語り合う時間も孤独。暴風雨の後の澄み渡った空を見ても孤独。しかし、孤独とは悲しみのことではないと詠む。美しさに触れるたびに、【そこに永遠などない】という事実を突きつけられるから孤独なのだ、という。私が抱く無常感に重なる部分がそこにはある。1994年4月、私が生まれるほんの少し前に亡くなった。
「気分というものは単純に良し悪しで分類されるものではない。その狭間に横たわる繊細なグラデーションこそが生きるということそのもの」
こんなことを半年前に書いてるけども、いやもういいよ、となっている。人は考えすぎるとバカになるみたい。たまには頭を空っぽにする時間が必要ね、と外に出てみても、まったく私はバカなので気付けばこうして文字を連ねているのです。感情というものは目には見えないものだから、形にしておかないと怖いのだ、実体のないものはいつだって怖い。お化けだって怖いし宇宙も怖い。
沖縄の長い長い夏がようやく終わりを迎えた。三年前の「2022 夏が終わる」に引き続き、孤独でありながらもゆるやかに世界と繋がっていることが分かる日記たちを集めた。三年経っても中身はなーーーんも変わりゃしない、しかしその事実がこれからの人生を後押ししてくれるような気もした。変わらないものを大事にしよう、これが私だ、悔しいけれど受け入れましょう。
2025 0726 1921

思いやりとはなんだろうと考える。相手を思いやる時に自分を殺さなければならないのなら(自分を殺さなければ相手を思いやることができないのなら)もうそれは思いやりでもなんでもなく、思いやるフリをすることで亀裂を見なかったことにしようとしているだけなのではないか、あるいは、やはり時には自分を殺すことも必要で、そういう折り合いのなかでしか人々は関係性を保てないのだろうか?正直に生きたい、楽しいも辛いも悲しいも嬉しいも不安もすべてド正直に出していきたい、それが叶わないところに身を置いているんだな、私は
窓から見える世界が黄金色に輝いていた。本能のままに飛び込んだ、顔がゆるんでいた、ずっと空を見上げながらひたすら歩いた。
2025 0726 1928

毎秒、色を変えていく 本当にずっと空を見上げていた。走馬灯を見ているような 何かの終わりを感じた。空模様の移り変わりに誰かの人生を重ねて涙する。日が沈んで夜が完全に訪れてもなお、空を見上げながら歩き続けた。
2025 0905 2142

夜風にほんの少しだけ秋が混じっていた。奥武山公園を歩く。街灯の少ない道で、一瞬、自分以外の誰もが消えた瞬間があった、影だけが確かに動いていたね
2025 0904 1833

入道雲はまさしく夏の象徴であるのに、私の眼には夏の終わりの兆しとして映る、ペシミズムのプロなので
2025 0910 2219

またひとつ年を重ねようとしている。 「自分を大切にしよう」というスローガンはたしかに響きは優しいけれど、その裏にある前提として 【すでに自分に意味があり、誰かに必要とされている】がうっすらと含まれているように思う、だから人によってはこのスローガンが何の意味も為さない。自己肯定感というものはだれかに存在を肯定されてはじめて芽が生えるものだと思うから。
孤独に押しつぶされている状態というのは、その前提が崩れているときで、社会的な定義で言えばそれは「孤立」のことを指す。孤立した状態でこのスローガンを見聞きすることにより激しく落ち込んでしまうことがあるかもしれない。美しく健康でいようとすること、規則正しい生活を送ること自体が空虚に感じられることもある(これは前回のブログに書いたことと似ている、自炊が怖くなった話)。
「自分一人で立つ」というのは聞こえは立派だけど、実際にはとても孤独で体力が要って足元がぐらぐらするような感覚になるもの。並大抵の精神力ではそれは叶わず、おそらくほとんどの人間は自分一人で立つことなど出来ない。誰にも寄りかからず誰にも甘えず自分の価値を自分だけで保証するなんて、人間のつくりとして本来あまり得意ではない気がする。
自分だけでなく他者も含めて、ただ存在するだけで許される場所に身を置いて初めてあのスローガンが活きてくる。そのような場所が始めから用意されている人もいれば、自分で見つけなければならない人もいる。それはそれは骨の折れる作業だけど、人生とはそういうものだと受け入れるしかない。私はあと数時間で31歳になろうとしているが、
ってこれを閉店間際のスタバで書いていたら、隣で面談をしていたスタバの店員さんが「いや本当にそうなのー!」と激しくリアクションをした瞬間、ホットコーヒーの入った紙カップがこちら目掛けて飛んできて、見事に私の太ももへ。良い一年になりそうです
2025 0914 1950

そのまま真っ直ぐに帰る。いつもは出来るだけ喧騒のなかに揉まれていたくて、誰かとお喋りするか、どこかで勉強をしてから帰るか、ぶらぶらとあてもなく街中を散歩をしてから帰ることが多い。――でも今日は。家に帰り窓を開ける。誰かが車のドアを閉めた、ランドセルが揺れている、隣のベランダから柔軟剤の匂いがする、遠くの方でクラクションの音が鳴り響く。それでいてカラスが寂しく鳴いていて、足元では蜘蛛がどこで巣を作ろうかと悩んでいる。胸がいっぱいになって、そっと窓を閉じた。そのままいつもの場所でウォーキング。今日は23022歩。
2025 0922 1850

まだ夜の名残があるなかに、再び朝がやってきた。夜が朝に取り込まれていく。やがて太陽が何食わぬ顔で姿を見せ、どんな人にも平等な朝が始まる。Never same, everything but the name(名前以外のすべては移ろいゆく)
2025 0923 1920

モノレールが過去の生活音を引き連れてくる。記憶にないはずの平成初期が蘇る。この記憶は悲劇なんかじゃない、むしろあたたかい光景が広がっている。きっとみんな必死に愛そうとしていた、誰も悪くないし、どうしようもなかったんだよね(自分たちが崩れていては誰も愛せないよ、28年前のあなたたちへ贈る言葉)
2025 1014 0557

人の数だけその日を生きた軌跡がある。夕焼けのオレンジ色はそれらすべてを優しく包み込む。ある人はこのオレンジ色に永遠の愛を重ね、またある人はこのオレンジ色から無常を理解する。対象にどんな意味合いを持たせるかは、その人の置かれた状況に応じて変わるだろう。同じ場所で、同じものを見て、同じことを考えていると信じて疑わない人から幸せになっていくのかもしれない。孤独とは、自分の中が空っぽだから虚しいのではなく、むしろ溢れているから苦しいのだ、こぼれ落ちていく言葉たちを、ただこぼれ落ちていくままに手放している。いつまで経っても私の言葉は行き場を失っている。
2025 1014 1950

読谷からまっすぐ那覇に帰ろうとしたけど途中でバスを降りて、パルコまで歩いた。地図だと近く感じたけど実際に歩いてみたら一時間くらいかかった。山下達郎の「希望という名の光」を聴きながら泣きながら写真を撮りながら歩いた。この曲のイントロが合唱曲の「春に」を彷彿とさせたので、今度はそちらを聴きながら泣きながら写真を撮りながら歩いた。私はよく夜な夜な合唱曲をイヤホンで聴きながらベッドに腰掛けて姿勢を正して空中でピアノを弾いております、ヤバい人!そしてパルコでご飯を食べておうちまで一時間半かけて歩いて帰りました。
2025 1016 0604

朝のオレンジ色は畏れ多い。「あァーすみませんおはようございます」 ってつい謝罪混じりの挨拶をしてしまうほどに威厳を保っておりとにかくかっこいい。きっとまたどこかに移り住むのだろうが、その度に朝焼けを拝むことのできる場所を選ぶんだろうか?
「いつまでそれ(タンクトップ)なの?その格好しか見たことないんだけど」とお客さんに聞かれたので「11月の頭くらいまでじゃない?」と答えた。
2025 1119 2158
写真はない。長袖の下に薄めのヒートテックを着た。閉店間際のジュンク堂に駆け込んで、リルケの詩集を買った。完全に夏が終わった。また会おうね、さよならまたね