2026年になった。今年も職場で年を越した。
年越しの瞬間に特別な思い入れはない。というより、幼い頃からクリスマスから年始にかけてが人生でいちばん苦手なシーズンだった。人生の節目って人それぞれ色々あるけど、その中でも「年を越すこと」って世の中のほぼ全員に平等に与えられた節目じゃないですか。それがなんだか切ないというか、怖いというか……このあたりは深掘りしてはいけない気がするので、粗めの感想で終わらせておくのが吉だと思っている。
2026年のどこかのタイミングでここを去るつもりでいる。だから年越しを職場で迎えるのはたぶんこれが最後。
フランス人、カナダ人、韓国人のゲストがリビングにいたが、みんな自国の恋人とビデオ通話するのに夢中で年越しのカウントダウンが始まったことにすら気づいていない。私はその様子を特に気にも留めず、ひとりベンチの上からジャンプして「Happy New Year~~~!!!」と大声で叫んだ。
それで周りもようやく年が明けたことに気づいて、「はっ」「はっp」「はっぴー」「……ューイヤー!」と、バラバラのハッピーニューイヤー合唱が始まった。世界中でここだけなんじゃなかろうか、こんなにも独立独歩な雰囲気が漂うゲストハウスというのは。
2025年は、公私共にとても濃い一年だった。
繁忙期に12名のオーバーブックが発生し(しかも7泊!)、深夜にタクシーで北谷のマンションまで行き、真っ黒に日焼けした12名の男子大学生たちに囲まれながら土下座謝罪したのが、2025年のハイライトかもしれない。
この出来事を通して、事業に失敗して首を吊る経営者の気持ちがほんの少しだけ分かった。自分が辛いというより、この日を楽しみにしてきた学生たちの思いやその子たちを快く送り出した保護者の顔、顧問の先生の気合い……そういった、すべての関連するものに対して責任を感じてしまい、感情の捌きどころがまったく分からなかった。
いつも自分の人生に嫌気が差して「死にてぇなあ」と思っているけれど、この時ばかりは、他人の人生に責任を負いきれないことに落胆して「死にてぇなあ」と感じた。
そんなこともあったけど、わりとすぐに立ち直った。
オーバーブックの件で多額の損失を生んでしまったのもあり、起きてる間はずーっとパソコンかスマホを見て価格を分析し続けた。そして2月は売上目標を大幅に上回り、初めてボーナスをもらうことができた。同世代の、新卒でバリバリ働いている子たちからしたら、「なんやねんその額、そんなんボーナスとは言わんぞ」と突っ込まれそうなほど微々たるものだったと思う。
それでも、成果を認めてもらうことで達成感を得るというのが久しぶりだったので心はホクホクしていた。このボーナスで、10年前に命拾いしてくれたY氏にようやくお金を返すことができた。
「なーんだ、これで沖縄に遊びに来る口実がなくなっちゃったな〜」と笑っていたが、その後も何度か遊びに来てくれている。その度に、怠け者の私に喝を入れてくれるし、現実というものをもう一度突きつけて目を覚まさせてくれる。こういう大人になりたいんだよなあ・・・
4月以降もトラブルは続き、揉めに揉めたスタッフに解雇予告通知を突きつけるなど、荒れに荒れた上半期。あまり公には出せないが、後から振り返れば「いろんな人生を垣間見ることができた」期間でもあった。
下半期は、上半期の勢いに心底疲れ切ったのと、目標を達成したことによる燃え尽き症候群と、私生活で落ち込む出来事が重なり、廃人のような日々を送っていた。淡々と日々をこなすだけで、何も生産的なことはしていない。
12月は、9年ぶりにアフリカに行った。
16日間、日本語をひとことも発することのない旅だった(日本人に一度も会わなかった)。懐かしい場所や人との再会もあり、良くも悪くも、自分を見つめ直すきっかけになったと思う。
「あ、やっぱり私ってこういう奴なんだな」と、自分への解像度が高まった旅だった(←自己矛盾する形にはなりますが、下の方でこの点について述べています…自分で自分を殴るスタイル…)。でもねぇあのねぇできれば高まりたくなかった。ずっと現実から目を逸らして生きていきたいんだよ、私は!!!
気づいたらあの世に行ってた、みたいなのが理想……とか言ってスカしてみるけれど、本当は「何のために生きているのかが自分の中にないと窒息する」タイプの人間です。
生きる意味などない、生きてるだけで偉い、という言葉は、もう耳にタコができるほど聞いたし、それが間違っていないことも分かっている。でも、意味がないなら死ねばいいじゃないですか。とはいえ大半の人は死なない。
やっぱり意味は欲しい。誰かに必要とされたいし愛されたいし世の中の役に立ちたい。そして私は相も変わらず意味を追い求めすぎて狂っている。
セネガル旅行記、まさかの第0話で止まっていますが、ちゃんと最後まで書くつもりです(2027年に持ち越さぬよう……)。
遠い国に足を運ぶと、「自分のことを誰も知らない」「自分の人間関係の悩みで名前が挙がる人物がどこにもいない」という当たり前の事実に新鮮な驚きがある。
それだけで、自分がいかに小さな世界の出来事を大きく抱え込んでいたのかが相対的に見えてくる。
そしてその一方で、確かに悩みの登場人物はいないのに、悩みの構造の共通点をあちこちに見出してしまうこともある。「完全に」ひとりで異国の地を旅するせいでもある。というのも、「完全に」ひとりで旅するというのは、考える時間が増える、という次元ではなく、考える時間しか与えられないから・・・拷問です。そんな中、悩みの構造が浮き彫りになる。自分が特別でも何でもないただの凡人であることを嫌というほど自覚する。そこに諦念を持ち込むことがないよう気を付けつつ。
感情や気分は状態であって永続的な本質ではない。だから、感情や気分をもって「私はこういう奴だ」と自分を断定してしまうことに嫌悪感がある(ここが先ほど書いた矛盾点でございます)。
例を挙げるならば。私は小学生の頃から希死念慮が強く、鬱病らしき症状もあった。でも、もしここで「鬱病」というラベルを貼ってしまったら、私は一生その人生を選び続けてしまう気がして、それがどうしても怖かった、というのがある。ここで何が言いたいのかは分かりません。
一方で、痛みや苦しみが無意味で終わることへの抵抗もある。何年も引きずっている感情や記憶を、「それはただの神経活動の結果に過ぎない」「特別な意味などない」などと切り捨てて生きることができれば、もっと楽にハッピーに生きられるというのはすごーーーくよく分かる。
でも、そうやって簡単に切り捨てることで自分の経験が回収されずに終わってしまうことが悲しかった。だから、人生における出来事に特別な意味はないのだけど、文章を書くことであえて意味を与え、経験を保存してきた。出来事との距離をバランスよく保ちつつ・・・踏み込みすぎれば苦しみがアイデンティティ化するし、俯瞰しすぎれば創作する意味がない。「事実を説明せず、限りなく詳細に記述するに留める」というのが今のところの私のスタンスである。説明しすぎるとどうしても説教っぽくなるし、そこに「分かってほしい」が入り込む。
もちろん精神が不安定なときは、世界に介入しすぎて説明しがちになるのだけど(今日のブログがそうであるように)、それはそれで後から読み返すとオモロイし、誰かしら共感してくれるんじゃないかと思って、恥ずかしくてもそのまま残している。いつだったかにも書いたけど、私は書くために生きているんじゃなくて生きるために書いているだけなので・・・(本来ブログという媒体は、書く人と読む人がいて、その二者間で双方向のコミュニケーションが行われて当然の場なのだと思うが、このブログはコメント欄も、いいねも、メールも、、、とにかくありとあらゆる交流手段をすべて閉じている。だから、たまたまこのブログにたどり着いた私のことを全く知らない人は、果たして私が何者なのかも知らなければ、何か感想を伝えたくても一生伝えられないまま。ファンタジーだろ?私はこの空間を守るべく、africakari.jpというドメインを維持するために年額およそ一万円を払い続けている・・・まったく、駄文を夜な夜な書き溜めることでお金を得るのではなく、逆にお金を払って、しかもそれで満足しているって、一体何がしたいのでしょうか私は)2026年、0.1ポイントでも理想の人生に近づけるように、ぼちぼち頑張る。