時間が経つほど出来事そのものより感覚の記憶だけが残っていく。もう触れられないと分かっているから思い出は現実よりも美しくなる。でもいつかすべて消えてなくなってしまうんだよねぇと思うと悲しくなる。まだまだ自分の映画の続きが観たいから全然生きたいですとりあえず死にたくないのだ私は。
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畑で、スコップ片手に土のお山を作っていた。ミツバチがぶんぶん飛び回り、土を掘ればミミズがうにょうにょと存在を示す。腕にとまったナナホシテントウを手のひらに乗せ、模様を数えたり触覚を観察したりひっくり返して腹部を観察したりしていたら、いつの間にか手のひらが黄色く染まっていた。「てんとう虫がおしっこしたんだ」と思った。家に戻って手を洗い、台所からはちみつを盗んで白色の画用紙に八の字を描いた。畑に戻る。八の字に沿ってアリが群がる。ダンゴムシを片っ端からつつく。コロコロ転がす。ばーばが隣で畑仕事をしている。鍬を振りおろし、土を耕す。「あーちゃん」と呼ばれて顔を上げると、「今年は梅がよく実りそうだから、たくさん梅干しつくろうねぇ」と微笑んだ。日が落ち始める頃、食卓には畑の横の小道で採れたふきのとうの天ぷらが並んだ。私の大好物だ。夜はまだ冷える。お風呂に入る。窓を少し開けて湯船で100まで数えた。テンシン(※1)の遠吠えが響き渡る。フック(※2)が壁で爪を研いでばーばに叱られていた。叱られて興奮したフックと『いのうえさん(※3)』で遊ぶ。疲れ果てたフックはばーばの膝の上で眠った。もう存在しない2001年の春の光景。
※1 隣の家で飼われていたシベリアンハスキーの名前。
※2 当時飼っていた猫の名前。8kgの巨猫。
※3 フックが大好きだったネズミのおもちゃの名前。初代は『いのうえさん』、二代目は『あのうえさん』、三代目は『んのうえさん』。四代目『をのうえさん』を迎える前にフックが高齢となり、私もあまり家に帰らなくなり、遊ばなくなった。

↑亡くなる一年前のフック。お元気ですか?