- 思い描いていた結果が得られなかったときに孤立が始まり、大きな苦しみがそれに続く しばらくしてやっと上を向ける日がやってきたと思えば、また絶望し、孤立が始まる 生きるってそれの繰り返しだな、ほんとうに
- この山と谷の連続がどうにも心地良く思えてきた 悪しき出来事を恨み続けるでもなく、心地良い側面に溺れるでもなく、その日その瞬間をしっかりと受け止めて、ただ見送っていくだけだとようやく理解してきた どうしようもなく虚しくて涙が止まらない日がやっぱり相変わらず存在するけれど、幸いにも私たちには終わりが用意されている。記憶障害(すべての出来事を記憶してしまう)を持っている方とお話していて、「でも、人間いつか必ず終わりを迎えますからね。いつか必ず死ぬって、これほどの救いはないと思うんですよね」と話したら、深く頷きながら「本当にそうなんだよね。全て忘れてなくなる時が来ると思うと、何事も愛おしく思えるよね」と言っていた。
- 暗い文章ばかり書くけれど、たぶん私は誰よりもポジティブ
- 夜中にふと過去の日記を読み返してみた そこに散らばる言葉たちはどれも孤独の深淵に横たわりながら綴ったものだ
- 例えば、実家で過ごした真冬の深夜に書いた日記。こっそりとひとりで外に出て、あてもなく町を徘徊する 吐いた息が周りの空気に冷やされて白い水滴へとかわるのを見て、自分とその外側の世界との境界をはっきりと理解した あたりはもうとっくに寝静まっていて車の走る音すらも聞こえてこない 否が応でも 自分 という存在を強く感じさせられる、そんなことが書かれた日記だった
- 考えていることを文字に起こす作業はとてもしんどい 感覚を文字だけで表現することは難しい 頭の中で考えたことと、スマホに打ち込んだ文字との間にイコールなど存在し得ないということはちゃんと分かっている
- ところが、過去に自分が書いた言葉を読み返してみると、何かどこか正しいというか、その正しいというのは客観的な正論という意味ではなく、今の自分を支えて、励ましてくれて、また同時に、未知の何かに向かって開いてくれるような、そういう自分にとっての圧倒的な正しさが感じられる。
- その圧倒的な正しさというのは、例えば、どうしようもなく辛い出来事に見舞われて心にぽっかりと穴をあけたまま歩いた早朝の散歩中に感じたことを思い出しながら書いた、
- こうした誤字混じりのちょっとしたメモとか、そういう、なにかに触れて心が動いた時のあの感じ。いつもどこかでそういう感触を。ぐちゃぐちゃな言葉でも、ちゃんと自分の言葉で書いたものにはその時の感情が詰まっている。
- 小学生の頃の作詞ノート、今読み返すと妙に達観してておかしくて笑っちゃうんだけど、
- 外の世界に敏感になること 幸せは掴むものではなくてすぐそばにあること、を11歳の私が教えてくれてる 孤独に慣れていないとこんなの書けないよ、これを読むたびにこれを書いてた自分の頭を撫でてる(いつかこれを読んでおかしくて笑える日が来るから大丈夫、って慰めてる 孤どく、じゃなくて独どくになってるし)
- これを書いている間ずっと、いい時間を流していた もう10年くらいほとんど毎日聴いてる アフリカ旅行記のつづきを書こう 記憶、そして言葉が熱を失ってしまう前に