- 2016年6月22日(水) -
セネガルのジガンショールという町にやってきた。音楽の町。しかし今はラマダンの真っ只中、日中は楽器を触ることも禁じられる。ジャンベの音色がたまらなく好きだと口にすると、叩きはしないが「雰囲気だけでも」と叩いてるフリをしてくれた二人の男性。
宿に着いてベッドに腰掛けると、しばらくして腰のあたりに痒みを感じた。よくよくシーツを見てみると、2ミリ程の、肌色をしたダニたちが蠢いていた。その様子をしばらく観察したのちに、ベッドの上にテントを建てた。体力を消耗し切っていたからか、単に栄養不足なのか、まともに思考できるだけの気力が残っておらず、「ダニたくさんいるけど、ここで寝る」以外の選択肢が浮かばなかった。
路面で買ってきた、手で皮を剥くと果汁が滴り落ちるほどに熟れたマンゴーを食べただけで、ちゃんと栄養を採れたような気分になった。ここ数日間、夏バテのような不調に襲われていて、まともな食事をしていない。蟻が寄ってこないように剥いた皮をしっかりとビニール袋で包んだら、もうなにもする気になれずに小一時間テントの中で横になっていた。扇風機の音と生ぬるい風が妙に懐かしくて心地良い。このまま溶けてなくなっていくような、、、私は一体なにをしているのだろうか。ーーー
ーーー猛烈な空腹感に頭を殴られケツを叩かれ、生きるために起き上がる。死んだ魚の目。外に出ると、宿の庭でサッカーW杯の予選を観ているセネガル人たち。「あんたも一緒に観るか?」の合図を受け、空腹なことは一旦置いておいて、用意された椅子に座る。私は、サッカーの試合よりも、サッカーの試合に釘付けになっている彼らの顔に釘付けになった。やさしい目をしていた。
ふらふらと歩いて適当に食堂を探し、久しぶりにチェブジェンを食べる。お米、トマト、オクラ、ナス、にんじん、魚、そして激辛トウガラシ。今度こそ栄養をたっぷりと補給した。身体に力が漲っていくのがわかる。あー、生きてるな!って思った。宿に戻り、「小学校のプールの温度ってこんなんだったな」とつい思い出してしまうほどにぬるいシャワーで汗を流し、ミネラルウォーターで歯を磨いたら、部屋に戻って睡魔に襲われるのをひたすら待つのみ。
この部屋にはとても大きな机とふかふかの椅子がある(幸いにもダニはいなかった)。ここで日記を書いたり(=過去をなぞる)、音楽を聴いて物思いに耽ったり(=今を生きる)明日の予定を立てたり(=未来を組み立てる)、それだけでもう充分に幸せな気持ちだった。
*** 追記 ***
私が一人旅(とりわけアフリカの)を愛する理由はここに詰まっている。ともすれば過去ばかりを振り返って塞ぎがちになりがちな私を強制的に未来へと向かわせてくれるから。言葉も文化も何もかも異なる土地に一人で飛び込むということは、他人に身を委ねる行為を許さない。 すなわち次にとる行動はすべて自分で選択していかなければならないということで、そうなるとちゃんと地に足をつけた状態で前に向かっていける。長い長い移動の最中は移りゆく景色を眺めながらどうしても過去を振り返ってしまうけれども、新しい街が近づくにつれて自然と現実に戻ってこれる。